【小学校の先生は本当に楽しい?教育現場のリアルを語る】 小学校教師 渡邊智仁さん

インタビュー

尊敬してやまない職業が、私には2つある。

1つは、医者。

もう1つは、教師である。

人の一生を左右するこの職に就くには、私には、いや、多くの人には荷が重い。

今回取材した渡邊さんは、熱烈な教育従事者だ。

小学校教師として新米の頃は、年間100枚以上もの学級通信を書き、

購入した本を、子どもたちにたくさんプレゼントした。

「子どもたちの出来ることが、ひとつでも増えるように」と、

何よりも子どもたちを可愛がった。

年齢を重ね、渡邊さんは今年で教員17年目。

過去を振り返り、いま思うことや教育現場のリアルを語ってもらった。

(取材・撮影/yuko)

105号まで続いた学級通信”Fly High!!”

子どもと同じ目線で楽しんだ、新米教師時代

―教師として新米の頃は、授業のあまった時間で楽しい企画をされていました。どんな意図があったのでしょう?

単純に、自分も子どもも楽しいだろうと思ったからですね。

子どもたちはいつも同じメンバーで写真に写っていたので、「組み合わせを変えたら面白いな」と思って、“あり得ないツーショット”企画を考えました。


渡邊さんは写真に写るメンバーをくじ引きで決め、普段見かけない組み合わせをつくって撮影した。子どもたちの反響は大きかった。


6年生とかだと、恋バナが好きだったので、意図的にくっつけてあげようかなとか。実際にはしていないけど、そういうことも考えていましたね。

そしたら、偶然両想いの子が一緒になって、恥ずかしそうにしていたよね。あれは可愛かった。


―保護者からの反響はどうでしたか?

当時は良いことしか言われなかったですね。いま思えば、何か思った人もいたんじゃないかな。

本業は勉強だから、きちんと教えておかないと、親は何か思うだろうし。やることはやって遊ぶことを意識していたけれど、今考えたらかなり遊ぼうとしていましたね(笑)若気の至りです。


―子どもたちと一緒にドッジボールをされていたんですね。

「遊んでやろう」という意識は全くなくて、自分が楽しかったから、一緒にやっただけです。

ただ意図していたのは、自分がドッジボールに入ってバカ騒ぎをすることで、入りやすい雰囲気をつくること。強い男子を自分が全力でボコスカ当てて、「おいどうした」みたいな雰囲気にすると楽しいかなって。

何でもそうですけど、「あいつは頭がいい」、「あいつは運動神経がいい」、そう決めつけて生活するのは嫌でした。

そういった固定観念が子どもの世界にあると、輪に入りづらい人がいると思ったから、自分が茶々を入れようかなと。

女子が得点したら2点とか、しょっちゅうボールで人を当てる人は、1人当てたら即外野、みたいな。そういうルールは作っていましたね。


―当時を振り返って、思うことはありますか?

自由にできたことが楽しかったですね。

ただ、いま20代の先生が同じことをしていたら、やることはやっているのかなとか、遊びすぎじゃないかな、とか心配になります。

いま、昔と同じことをできるかと言われると、たぶんできないですね。歳とったから。

教師になるきっかけをくれた、恩師の存在

そんな、「楽しいことを生徒と共有したい」渡邊さんの想いは、恩師の影響を受けている。


自分が6年のとき、クラス24人でリレーして、42.195キロを走ったんです。

担任の先生が走るのが好きで、運動場で走っていたのを、子どもたちが真似して走り出して。

いつの間にか軽い駅伝部みたいなのができて、地区の大会にも出たりしていました。すごく楽しかったですね。

当時の自分は、長距離は走ったことがなかったけれど、「意外と俺速いんだな」って気づいて。その後の財産にもなりました。

意外な才能を見つけてもらった感覚はあったけれど、先生は「才能を見つけてあげよう」と思っていたわけではなくて。先生が好きなことやった結果、きっかけを与えてもらったんです。そういうのもいいなと思いました。

自分が、「これをしてあげよう」じゃなくて、子どもたちが、「自分ってこんなこともできるんだ」と発見してくれたらいいなと。


―恩師の影響もあって、教師を目指されたんですね。

それと、まわりの環境もあるかな。

いとこが全員年下で、小さい頃から親戚の集まりでは“1番上の兄ちゃん”として慕われていて。「将来は学校の先生になればいい」と言われていましたね。自分も、小さい子と遊ぶのが楽しかった。

あとは、叔父・叔母が教師で、勤務先の学校に連れて行ってもらったことがあって。

木造校舎の雰囲気が好きで、こういうところで小学校の先生をしても楽しそうだな、と漠然と思っていましたね。小学校高学年の頃かな。


―夢が叶ったいま、子どもたちと接するうえで大切にしていることはありますか?

難しいな…正直あまり意識していないけれど、同じ目線に立つことかな。

押し付けではなく、考えるきっかけを与える。全部「こうしなさい」と教えるのではなく、「考えてごらん」という。

それから、一緒に楽しむこと。いまは正直、昔よりできていない気はするけど。

時代が変わっても、変わらないこと。大切なのは”人との関わり”

話を伺うなかで気づいたのは、昔より子どもたちと楽しめなくなっている原因は、年齢のせいだけではないことだ。


―恩師の影響を受けている感じがしますね。

先生の、子どもをいじる冗談が面白くて。そこは影響を受けました。

ただ、最近は冗談を冗談と受け取られないことが多い気がする。

100人いたら100人笑うようないじりをしたつもりが、そう受け取れない人もいる。よかれと思ってやったら、「あれ?」みたいな。そういうところが変わってきたと思いますね。やりにくくなっているし、すごく凹む。

場所なのか時代なのか、その原因はわかりません。


―時代もあるんでしょうね。生徒たちもインターネットに慣れていて、人と話す機会が減っています。

世の中に言いたいことがあって、「別に学校なんか行かなくてもいい」みたいなことを言う人もいるけれど、人と関わらないことを良しとしないでほしい。

人と関わることは大事だから。

いまは当たり前に使っているオンライン授業も、勉強方法の改革として出てきたものなのに、コロナ対策に成り代わっていて。

だから軽い感じで、「体調悪いから学校休みます、オンラインでやります」って、サボり癖が付いている子が増えています。学校に行く楽しみがなくなってきているから、不登校も増えるんじゃないかな。


―勉強だけじゃないですもんね。学校で学ぶものって。

きれいごとに聞こえるけど、本当にそう。

コロナ関係で言うと、最近は親の顔も見えないです。顔を合わせる機会が減って、親がどんな顔をして子供の話を聞いているのか、わからない。

親の雰囲気がわかれば、「これくらいのイベントは乗ってくれそうだな」と思うけれど、わからないからすごくやりにくいです。

小学校教師としての教育信念

―コロナの影響は大きいですね。次は、渡邊さんの教育信念について伺います。自分の教育に迷いが生じることはありますか?

迷わないですね。

絶対、子どもに媚びない。悪いことは悪いって言わないとだめ。

それこそ時代が変わってきたからか、周りもクレームを恐れて「怒るな」、「大きな声を出すな」ばかり。

メディアで体罰や暴言ばかりが取りざたされるから、もうビビッてしまって。

最悪なのは、廊下を走るし挨拶をしない子がいても、怒らない先生がいること。ふざけるなと思いますね。

怒るとしても、「~するな」の言い方はだめとか。行動を否定するのではなく、望ましい行動を教えろと。しょうもないと思います。

考え方はそれぞれですけど、「時代が変わった」の一言で妥協するなと言いたい。


―変わってはいけないところが変わってきている気がしますね。

周りが守りを推してきますからね。そういう子どもしか育たなくなると思います。

自分はそんなことで、折れるつもりはないです。


―生徒にはどんな人になってほしいと思って教育されていますか?

やることをやって楽しむ、メリハリを付けられる子になってほしいと思います。

最近は「楽しければ良い」としか考えていないような先生が多くて、それで子どもたちの支持を得たつもりなのか、勘違いしている。好かれたいなら、毎日宿題なしにすればいいだけで。

簡単ですよね、子供から「面白い先生」、「好きな先生」と言われるのは。

でもそこを変えてしまうと、何かが欠落してしまうから。

あとは子どもたちに、「悪いことをしたから怒られた」ことを分かってほしい。道徳的な考え方とか、挨拶とか。人として当たり前のことを、これから先も自然にできるようになってほしいです。

挨拶もできない、口の利き方も知らない、そんな甘やかされた子どもが大人になったとき、すごく困るんです。そんな人が大人になっても仕方ない。


―仕事の大変なところ、やりがいは何でしょう?

大変なのは、子どもと接する以外の仕事が多いこと。子供たちに直接かかわる仕事だったら、大変でも大変と思わないけれど。

子どもたちのために面白いことを考える時間に使いたいのに、事務作業で時間がなくなっちゃう。

何か教育現場がニュースに取り上げられると、すぐ研修が始まりますからね。大事なことかもしれないけれど、量が多いです。

やりがいは、子どもたちが「できなかったことができるようになった」瞬間を目の当たりにできること。自分が意図していなかったことから学んでくれるのも、自分から「こうだよ」と教えて、学んでくれるのも嬉しい。

それから、どんどん大きくなる教え子の成長を見届けることができることもやりがいです。何年かぶりに再会できた時は、本当に嬉しいですね。

好きなことをやっているから、特にモチベーションは補給していなくて。大変なことはあるけれど、辞めたいと思ったことは1度もないですね。

小学校教師として働くということ

―教師の実態について伺います。ずばり、働き方改革は進んでいますか?

感じないですね。むしろ、業務は増えていると感じます。早く帰りなさいって呼びかけは一応あるけれど、残る習慣がある人はできていない。

環境としては、人が足りないです。産休・育休は当然権利としてあるけれど、抜けた先生の代わりの臨時担任がいなくて。

休む人に罪はないけれど、しわ寄せを感じざるを得ないですよね。


―なぜ人が減っていると思いますか?

悪い面しか報道されないし、ブラック企業と言われているからじゃないかな。

中学校、高校に比べると、小学校は部活がないから、その点は楽かもしれないです。

それでも、子どもや地域の実態に、頭を抱えている人も多いから。


―「教師になりたい」と思わせる要因を増やすには、何が必要でしょうか?

お金(笑)。

新しい職業も増えているし、 “ブラック企業”と報道されるような仕事に、あえて就く人は増えないんじゃないかな。そしたらやっぱり、給与とかで引っ張るしかない気がします。

でも、もし「いますぐに転職できますよ」と言われても、自分は先生がいいです。楽しいから。

給与が増えたら嬉しいけど、少ないからやめようとは自分は思わないですね。


―好きを突き詰める中で気づいたことはありますか?

好きなことを続けているからこそ思うのは、「好きじゃないならやめたら?」ということ

「別に子どもは好きじゃない」と平気で言う人もいて、「何でこの仕事やってんの?!」と思いますね。

この仕事を好きな人だけに教師をやってほしいです。我慢してする仕事じゃないから。


―どんな人が小学校の先生に向いていると思いますか?

子どもが好きな人です。責任感とかかっこいいものじゃなくて。

それも大事だけど、大前提として子どもが好きじゃないと。


―最後に、教師の生活について伺います。授業がある日のスケジュールを教えて下さい。

授業の確認をして、教室に上がり、1~5,6時間目まで子どもと過ごす。中休みや昼休みは、割り切って休憩時間として取っている人もいます。

子どもが帰った後は、消毒作業をして、職員室に戻って、雑談をしたり、近い行事の打ち合わせをしたり、明日の予習をしたり。研修があったり。

公務員だから17時になったら帰れるけれど、自分のさじ加減でどうにでもできると思います。


―全ての教科を担当するのが小学校の先生の特徴だと思います。いつ勉強していますか?

経験数と共に蓄積されていくから、この年齢になると、基本頭に入っています

新任の先生だと、日々過ごしながらやるしかないかな。自分も若かりし頃は、向こう1週間分の予習を土日でしていました。

いまは、その日の朝に、その日の確認をしています。


―小学校教師になるには、どうしたら良いですか?

まずは免許を取るために専門学校や大学などに行って、免許を取ります。

その後、教員採用試験を受験しますが、公立であれば、47都道府県と政令指定都市から、受けたいところを選んで受験します。

私の勤務する福岡市の場合、在任期間は、1つの学校につき最短3年、最長6年。

新任教師は、4年間は最初の学校になりますね。


―休日はどう過ごされていますか?

行事が控えていたり、他の先生が見に来る授業があったりすると、休日返上で準備をしていたけれど、基本的には普通の土日です。

独身の頃だったら、休日ブックオフに行くたびに、子どもたちのためにお金を使っていましたね。

きれいごと抜きに、自分の子どものように、クラスの子がかわいかったんですよね。だから、本は単なるプレゼント。

教室に新しい本が入ったときの子どもたちの反応や、あげること自体が楽しかったです。反応がなければやっていないですよね。

今は家族がいますから(笑)、息子への投資に本を買っています。


―ありがとうございます。小学校教師になりたい人に向けて、何か一言、お願いします!

子どもが好きな人は、ぜひ、なってください。

給与とか関係なく子どもが好きな人にとっては、楽しい仕事です。もちろん、子どもだけでなく、保護者、地域、同僚、沢山の人たちと関わるので、ときには上手くいかないことも出てくるけれど、子どもが好きで、この仕事をしたい人はやれると思うから。

やりがいはめちゃくちゃありますよ。


今回取材させていただいた渡邊さんは、教育現場の実情を赤裸々に語ってくれた。

その中で気づいたのは、子どもたちを守るため、教育現場に厳しくなった世の中が、本来の趣旨を逸脱しているのではないかということ。

たしかに、体罰や暴言はいけないが、今は「生徒を守る」より、「教師を批判する」方に注目されている気がする。

この時代に産まれたというだけで、教育の機会が制限される、1番の被害者は子どもたちだとわかってほしい。

また、これだけ職業がある中で、教師を選び、仕事をしていることは、

志ある人にしかできない所業だと、先生がたには誇りをもってほしい。

様々なことを考えさせられた今回の取材。きっかけを与えてくれた渡邊さんは、やはり「先生」だと思った。

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