3.11から来月で10年。2019年 福島県いわき市視察報告

ツメノアシオト

来月で10年、節目の年…と日本中が思っていた矢先、また大きな地震が起きました。

被災地の方々の胸中を思うと、胸が痛みます。

皆さまご無事でしょうか。

とにかく、身の安全を第一にして頂きたいです。

この記事は数週間前から考えていたものですが、今回の地震で、この記事を出すことが「節目」を意識しただけの自己満足とみなされないか、今もなお苦しんでいる人がいる現状がある中で、他人事だから書けることだ、と被災者を傷つけないか、色々なことを考えました。

延期にするか悩んだのですが、やはり今だからこそお伝えしたいことがあり、また、私自身も大阪北部地震にて被災し、多くの事を思った経緯があることから、今書こうと思い至りました。

少し長くなりますが、最後まで読んで頂けると嬉しいです。

学生時代、大阪のスーパーでアルバイトをしていたときのことです。

ある日、お客様が私のところにやってきて、手に持っていた野菜を差し出して言いました。

「福島県産の野菜は嫌だから置かないでくれる。」

怪訝そうに眉をひそめ、まるで卑しいものでも見るような目でそのお客様は野菜を見ていました。

「…あ、…はい。」

とてもショックでした。

と同時に、何も言えない自分が情けなくなりました。

何の知識もなく、野菜、とだけ認識していた福島県産の野菜。

きっと農家さんが一生懸命作った野菜。

震災以降、風評被害を受け続けている野菜。

被害者は、被災者のはず。

被災地の方々はずっと変わらぬ状況なのに、私はそんなことも知らず、自分の身の回りのことにしか興味がなかったのです。

そして当時、震災から7年が経過しており、正直消費者による風評被害を目の当たりにするとは思っていませんでした。

そんな中、消費者による被災地産食料への辛辣な評価を直に感じた。

悔しくて泣きました。

出身地ではないけれど、でも、人の心が見えました。

そして私はその日、「被災地に訪れる」ことを決心しました。

―2019年冬、夜行バスで、大阪から福島県いわき市へ。

復興支援をしている団体が主催する視察に参加し、資料館や被災地へ訪れ、語り部さんの話を伺いました。

津波は来ては去り、また来ては去り、を繰り返し、計4回、東日本を襲いました。

住宅地だった土地。津波ですべてが流されていた。

一度波が去った後、安心したり、片付けや様子見のために家に帰ってきた人は、複数回にわたる津波により、流されました。そして、大切な人の安否を案じて家に戻った人も、流されました。亡くなった方の多くは、誰かのために動こうとした方々でした。

どれだけ怖かったことかと思います。

避難する時は、絶対に、戻ってはいけません。

家族と連絡が取れなくても、大切なものを家に置いて来ても、絶対戻っちゃいけないんです。

ただ、そう分かっていても、戻ってしまいたくなります。

大阪北部地震が起きたとき、バイト先の仲間が心配で様子を見に行った私のように。

大阪北部地震の起きた当時も余震が何度も何度も続き、思うように眠れませんでした。

最初の揺れが非常に大きく、その揺れがまた来るのではないかという恐怖。家具は落ち、ガスは止まり、バイト先のスーパーは壊滅的な状態になりました。

精神的に不安定になったことを覚えています。

そして1番辛かったのは、世の中が地震のことを忘れ、何もなかったかのように進んでいくことでした。

しんどい時は、人とのつながりを頼ってください。

私も、周りの人々を助け、助けられました。

ただ、人のお手伝いをしていると、どうしても気を張って疲れてしまうので、自分の電池が切れてしまわないように気を付けてくださいね。

話が逸脱しましたが、戻ることによる被害を防ぐために、家族や大切な人と、震災が起きたときどうするか、予め決めておくことが重要です。私の家族も、災害時は絶対家に戻らないと、話し合って決めています。

災害が起きたとき、どこにどうやって向かうのか。何を持って行くのか。災害伝言板の合言葉は。

幸いにも、防災のための知識や道具は、社会に多く出回っています。

それらを活用して、今できることをしましょう。

がれきの中から大切な人の指の骨だけが見つかった自分を想像してください。

その悲しみを、防ぐことができるかもしれないのです。

資料館に展示されている、被災直後の街。

視察当時、被災地の風評被害はまだ続いており、漁業も再開できていませんでした。

だけど、被災地の方は、それを「当たり前」だと言いました。

消費者が怖いのは当たり前だから、辛抱強く待つしかないと。

なんて強いのでしょう。

怖くて悲しくて泣きたいのはこっちだ、と言いたいはずなのに。

被災地産の食べ物はすべて放射線濃度を検査しており、検査にパスした商品だけが店頭に並んでいることを、この記事を読んだ人だけは、理解してほしいと思います。

ここからは、視察の帰りの夜行バスで、私が感じたことを思いのまま書いたメモを載せます。

「福島の人は、「ここは良い所なんだよ」と心から思っていて、それを県外から来た私たちに体感してほしいことがとても伝わってきた。

あの日亡くなった人が私たちに求めることは、今をとにかく生きること。生きたくても生きられなった人もいた。方言って、やっぱり良いなと思った。温かい。

風評被害が今も続いていること、それにより漁業はまだできていないこと、現地の人は仕方ないと受け入れている。もう8年が経ち、農作物には何の害もないのに。もしそれが自分の大切に思う地域だったらどう思う?もっと福島のことを知りたいと思った。また絶対行く。

彼らの想いを背負って、というか今まで私が出会った人の想いを背負って、生きたい。語り部さんの話を聞きながら状況を想像するだけで胸がいっぱいになった。何を言っても、こう、哀れみのような冷やかしのような同情のような言葉になる気がして、何も言うことができなかった。

たぶん彼らに本当の意味で役に立つっていうのはそれなりの覚悟が必要で、長い目で何十年も寄り添い続けるしかないんだと思う。だから、私は決して彼らの役に立つとかそんなんじゃなくて、自分の目で確かめたこと、そして学んだこと感じたことを身近な人に伝えることを自分の目標にしたい。」

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

タイトルとURLをコピーしました