「死」を意識したとき本当に思うこと

ツメノアシオト

私事ながら、3週間ほど病床に倒れてしまいました。

幸い、治癒するものだったのですが、ウイルスが体内に侵入して、体の中を駆けずり回っているような、そんな病気でした。

このご時世で病に倒れるととても大変で。

まず、コロナじゃないかを疑って、PCR検査を受けます。

同時に、インフルエンザの検査を受けます。

どちらも陰性だったら、初めて風邪を疑い、やっと薬を服用します。

この時点で、かなりの時間をロスしているわけです。

私の場合、風邪に似た症状も出ていたので、最初は風邪薬を飲んでおりました。が、効かずに数日が経過。

どうやら風邪ではなさそうだと判明したのが、一週間後。

もう食べ物も喉を通らず眠ることも億劫で、かなり体力が落ちていました。

そんな中、「血液検査の結果を早くお伝えしたいので、至急病院に来てください」と電話が。

詳しい内容は言われませんでしたが、肝臓の数値が異常だとのこと。

元々免疫がそんなに強くないし、体温を調整できない環境にあると即、体調を壊すような私ですが、これまで奇跡的に重い病気に罹ったことはありませんでした。

そのため、この、いわゆる「所見アリ」という状態にかなりビビりました。

「私、死ぬかもしれん…」

と本気で思ったとき、あることに気付きました。

これまで、自分のやりたいことはすぐに実行し、会いたい人にもすぐに会って、悔いのない日々を送ってきたつもりでした。

それは私なりに、「いつ死ぬかわからない」と、考えていた結果でした。

ただ、本当に死を意識した瞬間、そういった自分のための欲求は、あまりにも意味を成さなかったのです。

言うならば、「…で?」と、言われているような感じです。

それでは何を思ったのかと言うと、只々、「自分の人生って結局何だったんだろう」と思うばかりで。それはすなわち、「自分は人生で何を遺せたのだろう」ということをひたすら考えていたわけです。

私は図々しくも、生きていることを当たり前だと思い、おばあちゃんになるまで生きられることを当然だと仮定しながら生きてきたと痛感したのです。

「まだやりたいことがたくさんあるのに…」

いつ死ぬかわからないという、それこそ当たり前の事実に直面した私は、もっとちゃんと生きたいと考えるようになりました。

仕事に対して。今の仕事は恵まれていて楽しいけれど、他のやってみたい仕事もある。ただ、今の職場に恩を返したいので、誰がしても同じ仕事を、「私だけにしかできない仕事」にする。

人生に対して。幸せになるために、自分にとっての価値観を見直してみる。自分はどんな人間なのか?決断するとき軸にしている、本当に大切なことは何か?

健康に対して。免疫を高める工夫をする。今までもしてきたけれど、もっと気を付ける。

・・・

と言うように、自分に関係するありとあらゆる要素を、このままで良いのか、改めるとしたらどうしたら良いのかを見直しました。

だからどうなったというわけではありませんが、自分なりの目的地がなければ、このままのらりくらりと年を取っていくような気がしたのです。

そして、人の喜ぶことをしたり、徳を積む行動をしたり、そういったことは、きっと人生を顧みる自分の心を癒してくれる。と、考えるようになりました。

2020年4月に始めたLIVE NOWですが、あらゆる方の生き様の一部を切り取り、紹介することで、その人を輝かせるとともに、読者の方に人生の選択肢を提示することを目的としてきました。

今回の件で、私のやっていることは間違っていないと、確認することができました。

自分の能力を生かして、人様の役に立ちたい。

それこそが、人が持つ不変的な欲望なのではないでしょうか。

体調が回復し次第、取材を再開致したいと思います。

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